![]()
![]()
新緑から、また一段と緑を濃くしたマロニエの木影。 色の濃いフードを目深に被った長身の人物が人目を引かぬよう、ひっそりとベンチに座っていた。 男にしては、線が細い。かといって、女にしては、丸みがない。 第一、いくら陽射しが強いからといって、 この陽気に全身をすっぽり覆うマントをまとうとは、どういう訳なのだろうか? 人物の視線の先の広場には、飛沫をきらめかせる噴水が人々の目を楽しませている。 すっきりと広がる青空。 誰もが、爽やかな初夏の昼下がりを楽しんでいた。 領事館や大使館の建ち並ぶこの一角は、 首都の中でも治安は特にいい。 だからだろうか、広場には幼い子を連れた親も多い。 笑い声を上げ、若い母親にじゃれつく子。 遊び疲れて、父親の腕の中で眠ってしまった子。 平和そのものの光景。 フードの人物は、見るともなしにそんな風景を楽しんでいるようでもあった。 噴水の前でエサをつついていた鳩が、いっせいに羽ばたいた。 群れを散らしたのは、まだよちよち歩きの赤ん坊。 赤茶色の巻き毛と大きな青い瞳の愛らしい顔立ちは、 男の子にしても女の子にしても、将来どれほどの美人になるか…想像もつかない。 赤ん坊はいっしょうけんめい鳩を追いかけて、追いかけて… フードの人物の前で、盛大に転んでしまった。 大きな瞳に、みるみるうちに涙がたまり……ひゅっと息を吸い込み…… 次の瞬間、甲高い声で泣き出した。 「仕方ない………ほら、どこか痛いところないか?」 フードの人物の声は、とろけるように柔らかく、低かった。 片手で赤ん坊を拾い上げ、怪我の有無を見て…かすり傷一つないのを見て取ると、 宥めるように抱きしめた。 全身をそっくり返し暴れて泣いていた赤ん坊の手が、 なんのはずみかフードを払い取ってしまった。 現れたのは、豪華な金糸の髪。アイスブルーの瞳。 見るもの全てが息を呑まずにいられない、高貴とさえ言える美貌の男だった。 そして、なにより人目を引くのが… 真紅のクリスタル。 彼は、ファティマ・ファティス。 MHという巨大兵器を操るための、生きた演算装置。 赤ん坊は、泣きやんだ。 ファティマを見つめ、ちいさな手をいっぱいにひらいてファティマの頬に触れ、 …そして、天使のように無垢な笑みを向けた。 ファティマも、心のそこからの微笑みを赤ん坊に向けた。 「…まぁ、まぁまぁまぁ!ありがとうございます、ファティマさん!」 母親らしき女性が二人のもとへ駆け寄ってきた。 あまり容姿に似通った部分はなかったが、笑った目元が赤ん坊とそっくりだった。 「お母様でいらっしゃいますか? お子さまをお返しします。転ばれましたが、お怪我もないようです」 「よかった…少し目を離したらいなくなって…貴方が見つけて下さって、本当によかったわ」 「お目をお離しになりませんよう。 …この方はいずれ、星団に無くてはならない方となるでしょう。騎士として」 「………え?」 母親の胸に赤ん坊を返し、ファティマは優雅に一礼した。 きびすを返したその先に、彼の主人らしき若い騎士が手を振っていた。 遠ざかるファティマの後ろ姿に赤ん坊は両手を精一杯伸ばし… 届かないと知ると、しゃくりあげ…再び盛大に泣き出した。 「あらあらあら…アムロ、どうしたの? 泣きやんで、どこも怪我をしてないのでしょう?」 母親は赤ん坊をあやしなだめすかしながら、広場を後にした。 親子連れを見送って、騎士とファティマは歩き出した。 ファティマはフードを深く被りなおした。 それでも、柔らかな笑みをたたえた口元を隠すには至っていない。 「ずいぶんと楽しそうだね、“シャア”。口元が笑っているよ」 「『笑って』いる?」 「ああ。…もしかして、僕以上の騎士殿を見つけた、というのかな? そう…“紅騎士”を名乗らせられるほどの」 「まさか。今の子はまだ赤ん坊だ。そして今のマスターは貴方だ、ガルマ・ザビ。 たとえ“紅騎士”の称号を受け取ってくれなくても」 紫の髪の騎士は、自分の前髪を指に巻き付けた。 子供っぽい印象をうける仕草は、しかしファティマにとっては不快ではない。 「いいのだよ、シャア。 君を娶ったことによる、姉・キシリアに対する私の立場など… 君が気に病むほどのものではない。 “よりふさわしい騎士の元へ” これはファティマの不文律、本能、そしてたった一つ許された自由だ。 止める術も権利も、我々にはないのだよ。 まして君は………【紅き死の戦神】“シャア”だ。」 「それでも、……今の私は君を選ぶよ、ガルマ。」 ガルマは、しばらくパートナーの形のいい紅唇を見つめていた。 ……やがて、ふわりと微笑んでみせた。 『ありがとう。』 唇の動きだけで伝えられた言葉。 そこには、確かに騎士とファティマ・ファティスの間にしかありえない 信頼感と連帯感があった。 赤ん坊とファティマが再び出会うまでには、 運命の輪が音を立てて回りだすまでには、……今しばらく、時が必要な、 これはそんなころのささやかなエピソード。 |