顔の前に落ちかかる髪を、つまみ上げてみた。
 明るい陽ざしを浴びて光を含んだ髪は、いつもよりも色が薄くなっているような気がした。
 随分長さも伸びてしまったと思う。
 腰とは言わないまでも、肩は充分に越してしまっている。
 軽く波打っているのを伸ばしきれば、胸元まで届くだろう。
 それもこれも、再生槽に4月も沈んでいなければならないほどの重傷を負った、
 あの、戦いが元だった。
 
 前の主……紅騎士の称号を受け取ってはくれなかったが、
 心の底から慕っていた主を失った戦いで、
 “シャア”自身も身体半分を失う重傷を負った。
 下半身をもがれ、残った内臓もほとんどが破裂を起こし、脊髄も粉砕骨折し、
 ほぼ絶望的だと自己診断をくだした。
 
 味方勢力は総撤退し、退却の時間を稼ぐべく殿軍を務めていた彼らにフォローのあるわけはなく。
 “シャア”と大破した彼の専用機・ゲルググのメモリーを回収したのは
 皮肉にも敵対していた勢力の補給部隊だった。

 『敵とはいえ、彼は傷ついたファティマ。負傷者に敵も味方も無いはずよ!』

 おぼろげに覚えているのは、赤い髪の女性士官。
 彼女が“シャア”を急速冷凍して、自軍のファティママイスターに見せていなければ…
 【紅騎士】の名は、そこで完全な伝説となってしまっていただろう。

 それから、120日が過ぎた。
 
 「気分はどうだね?」
 「ええ、…良好です、テム博士。」

 よれよれの白衣、冴えない風采、
 およそ医師の頂点に立つとされるファティママイスターのイメージとはほど遠いこの男が、
 無定型ファティマ・エトラムルの傑作【ハロ】シリーズを生み出した。

 端麗な容姿を持たない『非人間型ファティマ』は
 MHのリアルタイムコントロールと演算性能のみを極限まで引き出した
 まさしく究極の兵器、MHの為の『生体演算装置』だった。
 大脳と神経、それを支えるための最低限の筋肉しか持たない生命体を維持するために
 培養液を満たした球形のカプセルに詰め込まれ、ユニットとしてMHに組み込まれる。
 通常のファティマよりも短期間で養成が可能で、しかも精神崩壊発生率もきわめて低く
 動作安定性には定評があったため、予備のファティマとして、また人間型を必要としない騎士らに
 需要も少なくなかった。
 なかでもテム博士の【ハロ】はカプセルの直径が50pとユニットとして非常にコンパクトになっており、
 通常のエトラムルより豊かな『感情』を持ち、時として主人の騎士に意見すらすることもある。
 細やかな意志疎通が可能なほど『人間くさい』エトラムル【ハロ】。
 従来のエトラムルにない、愛らしい薄緑色の球形カプセルの外見もあいまって、
 人間型と非人間型の長所をたくみに取り入れた新たなファティマとして、星団に受け入れられつつあった。
 

 暖かい風が、庭のどこかに咲いた花の、甘い香りを運んでくる。
 眩しいほどの日差しに、“シャア”は手をかざして目を細めた。

 「君はアングロサクソン系だからな。
 あまりきつい日差しはまだ身体に障るかもしれん。おいおい慣らすと良いだろう」

 館にもどりかけ、テム博士はふと付け加えた。

 「これから、別れた妻が来ることになっている。
 チビも連れてくると言っていた。うるさく騒ぐ子ではないが、…」
 「構いませんよ。なんでしたら、お子さんのお相手をしましょうか?」
 「いや。君は病み上がりなんだ、まだ静養が必要だ。
 チビには庭に回らないように言っておく」

 ちいさく、テム博士のポケットから音がした。
 携帯端末を操作しながら、博士は元妻と子供を迎えるため館へ戻った。

 “シャア”は、再びチェアに横たわった。
 前の主人を失ったあと、まだあの言葉を聞いていない。
 
 [Seek Your Next] 
 
 次の主、……次の紅騎士を捜さねばならない。
 主人を持たないファティマは不安定極まりなく、また星団法でも
 『いかなる危険が迫ろうとも、自分の身を守る権利』すらない状態に置かれる。

 【次の主を捜せ】

 前頭葉に直結する額のクリスタルに指を当て、その言葉を伝えない限り
 “シャア”の前の主の呪縛はとけない。
 PCでいうなら、いわば初期化にあたる作業ともいえた。

 伸びてしまった前髪を、指に巻き付けてかるく引っ張った。
 それも、前の主のくせだった。
 あの手は、……今は、もう、世界のどこにも、ない。
 
 「………っ!」

 閉ざした目尻から、一筋、涙がこぼれた。
 ちいさく暖かなものが、その涙を拭った。

 「!?」
 「ご、……ごめん、なさいっ………」

 不意打ちの手の感触に飛び起きた。
 目の前には、やっとジュニアハイにあがったばかりだろう子供が、
 おびえた顔をして“シャア”を見上げていた。
 ひどくクセのきつそうな…おそらくは巻き毛だろう、赤い髪。
 初夏の空を写したような、大きな青い瞳。
 あどけないその顔立ちは、“シャア”の記憶のどこかを…ひそやかにつついた。
 
 「父さんが庭に行くなっていったけど…
 けがをしたファティマがいるから、って…
 でも、僕、気になって……あの、痛いところ、さわっちゃった?」
 「……いや。大丈夫だ。
 君は、テム博士の息子さんか?名前は?」
 「…アムロ、です」

 蚊の鳴くような、細い声。
 手を伸ばすと、おびえたように引かれた。
 身を翻して、芝生の続く庭園へ走り去っていった。
 “シャア”は、その身のこなしに、僅かに目を細めた。
 
 チチチチ……

 真紅のクリスタルが、かすかに煌めきはじめていた。
 
 アムロの走り去っていった先には、建造途中のサイロが見えた。
 何かに気を取られていたのか、アムロが不安定な足場を踏み外した。

 「!!」

 次の瞬間、“シャア”は弾かれたようにサイロへ飛び出した。
 その動きは並の騎士では視認すらできないだろう。
 一瞬にしてサイロに着くと躊躇わずその縁を蹴飛ばし飛び込むと落下途中のアムロを捕捉・保護。
 体勢を入れ替えて身体を丸め、全身でアムロをかばった。
 ふたりはもつれ合い、派手な音をたててジャンクの山の上へ落ちた。
 幸い山の頂上は何かのビニールカバーが積み上げられていたから、
 “シャア”を下敷きにしたアムロには、さほどの衝撃はなかった。
 上から落ちてくる細い鉄骨やパネルも一通り落ちたのか、静かになった。
 もうもうと立ちこめる埃にひとしきりむせていると、“シャア”は背中を撫でてくれた。
 
 「どこか…ひどく痛んだりするところはないか?」
 「……ファティマさんこそ、手…!」
 「ああ。折った…か。なに、これくらいすぐ治るだろう」
 
 アムロの背中に回されたのとは反対の手は、
 肘と手首の丁度真ん中あたりで不自然に折れ曲がっていた。
 
 「ごめんなさい、僕をかばったりしてくれたから……!」
 「なに、主人を全力で守るのはファティマの務めだよ」
 「え……?」

 意味を取りあぐねたアムロが口を開きかけて、息を呑む。
 厳しい表情に立ち戻った“シャア”はサイロの天井を仰ぎ、アムロをかばったまま壁面へ取り付いた
 
 爆風。轟音。震動。土煙。

 突然起きた至近距離のそれらに、思わずアムロは傍らのファティマに抱きついた。
 “シャア”は先刻の比ではないその規模に身を震わせ、壁に耳を付ける。
 低く、音ではなく大気と大地を震わせ身体に響くイレーザー音に首筋がそそけだった。

 「………MH!」
 「え!」
 「何故気づかなかった…!………至近距離のザクシリーズが3体…か……
 テレポートで送り込まれたか…?ならば母船が近くにいる……。
 何が目的かは知らんが…逃げ切れんな……」
  
 アムロの手前、言葉は濁してみたが、“シャア”は来襲者の目的が己であることを察していた。
 そして、テム博士の館は破壊されただろうことも。
 
 ……先のマスター、ガルマと対立していた…おそらくはギレンあたりの差し金か…。
 しつこく私を狙い、『父さん』を殺したあの方ならば、
 私が他国の手に落ちる前に強硬手段に出ることも厭うまい。
 …どうする!?

 「…ファティマさん、あれ……」

 か細い声に、“シャア”は腕の中のアムロを見つめた。 
 震えるアムロが指さす先には…今の衝撃で保護シートが半ばずれた白い機体があった。
 さしもの“シャア”も、瞠目した。
 星団中を渡り歩き、数々のMHに搭乗した“シャア”でさえ、データを持たないMH。
 それは、最高機密を誇る新型、を意味していた。
 見たところ、開発自体は完了しているようだった。もしかすると、テム博士は“シャア”の回復を待って
 機体テストを行うつもりだったのかもしれない。

 「…攻撃は、最大の防御、か……。
 私を選んでくれないか?アムロ……いや。

 【マスター】!」



 
 アムロは、呆然と己を守るファティマを見上げた。
 
 「ぼくは……騎士じゃありません……っ」
 「認定のことを言っているのか?ならば問題はない、私が君を『主』にと望んでいるのだ。
 ファティマは騎士にこそ従う。
 そして、自分自身ともっとも相性のいい騎士と組んだときにこそ、
 ファティマは持てる能力の全てを生かせるのだ」

 イレーザー音が、不気味なうねりの振動となって…二人を包んでいく。
 問答する暇も、考える暇もない。
 “シャア”はアムロを抱えたまま、白いMHに取り付いた。
 胸部の騎士コクピットにアムロを乗せる。
 シートは大柄な男性に向けたもので、小柄なアムロにはかなり無理があった。
 が、このさい構っていられなかった。
 
 「ファティマさん!」
 「“シャア”、だ。私は上の…ファティマルームに入る。
 片腕がこんなザマだが…出せる全力で、君を守ろう」

 ハッチが閉められ、アムロは暗闇に閉じこめられた。
 MHの頭部にあるファティマルームの開けられる音がして…ち、と舌打ちの響きが聞こえた。

 「エトラムルか!」
 「“シャア”さん!?」
 「君のお父上が開発している“ハロ”が乗っている!そちらへ下りるから、
 ハーネスは上げたままで…エンジンキーを回してくれ!右手の下あたりにあるはずだ!」

 手探りで言われたあたりをさぐると…キーらしきものがアムロの手に当たる。
 迷わずひねる。
 ゆっくりと…はっきりと、イレーザーの鼓動が、シートの下からアムロの肢体を突き上げた。
 メインフレームに光が入る。薄闇に沈むサイロの様子が、アムロの周囲に映し出された。
 やがて、頭部から“シャア”が片手を庇いながら下りてきた。
 
 「やつらもこちらのMHに気付くだろう。やらなければ…やられる」
 「やるって…!?」
 「君が、………戦うのだ」

 なんなくアムロの身体を持ち上げ、“シャア”はシートとアムロの間に身体を滑り込ませる。
 いわゆる『膝だっこ』の姿勢にアムロは真っ赤になったが、
 “シャア”は構わずエンジン出力を上げた。
 振動が、骨折した左腕に響く。
 こぼれたうめき声を聞き、アムロはとっさに“シャア”の負傷した腕を自分の腕に重ね、
 手首と肘のところでハーネスに固定させた。
 それから、右も同じように。
 
 「アムロ…!」
 「……教えて下さい、戦い方を」 

 “シャア”からは、アムロの表情は伺えない。
 ただ、イレーザーエンジンの振動とは違う震えが、アムロの腕から伝わってくる。
 “ハロ”から警告音。敵MHが至近距離まで迫っている。
 もう、マスター登録する暇さえない。
 “シャア”は舌打ちすると、メインキーをもう一段階回した。

 「行こう。……Wake up My Boy!」

 スクリーンに周囲の様子が映し出される。
 MHの“瞼”が押し上げられ、瞳に光が灯る。
 サイロをのぞき込んでいたザクに狼狽の色が走る。
 二人の乗ったMHのサスが沈み込み、垂直に跳躍する。
 ザクの肩をつかみ、手刀で首を刎ね、光剣を抜きはなつ。
 純白と青の、美しいモーターヘッドが、初めて大地に立った。
 
 このときが、『紅騎士』の復活と、……一人の『剣聖』の誕生の瞬間だったとは、
 ザクを駆る騎士たちには知る由もなかった。
    

Back to FSS-G top
Back to MENU