【香佑、季節外れの風邪を召したる話】



目に染みるほど鮮やかだった新緑も、今やすっかり深みを増したというのに。

「なにゆえ貴様は今頃風邪(ふうじゃ)を得ているのであろうな」
「う゛ー……面目もない……っぐしゅっ!」

ここ三条邸では、源朝臣 浦城香佑(みなもとのあそん うらき こう)が病を得て床に臥せっていた。
顔からは血の気も失せ、青色を通り越して土気色になっている。
黒髪の艶もなく、頬もそげ、目の下にはどす黒い隈まで浮いてしまっている。
間断なく襲う吐き気と腹痛、そして下痢に悩まされ、ろくに眠れてもいないだろう。
額は火鉢のように暑い。だのに香佑は酷く寒がり、上掛けを幾重にも重ねている始末。

三条邸では華美をきらい、家人も最低限しか置いていないのが裏目に出た。
かしこきあたりの血の引く身分に似合わず、香佑自身は身の回りのことは何でも自分でしたし
峨討も人手を煩わせるのを嫌う質なのでかえってちょうどよいくらいであった。
……普段、ならば。
もともと数少ない女房たちは西の対屋に住まう香佑の親の世話で手一杯。
下男はその親に命じられて薬師や加持祈祷を頼む僧侶への使いに走ったきり。
端女はどんなものを口にしても吐いてしまう若君のために、
少しでも滋養のあるものをと市へ求めにいったきりであった。
看病役は自ずと客人である峨討に回ってきたのだった。

姓は安、名は那辺、字(あざな)を峨討(がとう)。
それが峨討の正式な名乗りとなる。
安姓の示すとおり、祖先は安息国(ペルシャ)の出であるのだろう。
あるいは安息国より更に西、大秦国(ローマ帝国)あたりの出身であっても
その人並み外れて丈高い背、彫り深く鋭い紫の瞳を見れば納得しようというもの。
海の向こう、遠く大陸にてうち続く戦乱の果てに仕えるべき国を、主君を亡くして
この日の本の国へ流れ着いた、百戦錬磨の若き猛将であった。

その出自ゆえ戦場での負傷ならば、峨討にもいささかの心得はある。しかし病となると。
峨討は慣れぬ手つきで角盥の冷水に浸した布を絞り、香佑の額の上に置いてやった。
濡れた手で頬をさすってやれば少しは気分がよくなるのか、辛そうに笑む香佑が不憫だった。

「薬師や僧侶を呼ぶくらいならば、陰陽師の阿室を呼べばいいものを」
「あいつも忙しいから……ごほっ」
「そうは見えぬが……ん?」

下げた御簾の向こう、庭に面した孫廂に、見慣れぬ小鳥が舞い降りていた。
誰やらを思わせる真っ赤な小鳥に峨討は能う限りの渋面を作り、香佑はその横顔にくすっと笑った。

「あの小鳥、入りたがってるみたい。入れてやってよ」
「ろくな目に逢わんと思うが」

それでも香佑の頼みならばと峨討は御簾を少しあげてやり、小鳥を招き入れた。
青い目の小鳥はさも愉快そうに峨討へ一声さえずると、香佑の枕元に跳ねてきた。

「加減はどうだ、香佑」

小鳥がしゃべった。しかも阿室の声で。
峨討の手がとっさに刀に掛かったが、香佑はそっと手を上げて止めさせた。

「阿室の式神だと思う。……ん、あんまりよくない」
「咳は?熱は?喉を通る食べ物はあるか、腹具合は」

不思議な光景、ではあった。
赤い小鳥が首をかしげつつ人語を話し、香佑の体調すら気遣っているとは!
一通り問診をすませた小鳥は、今度は峨討へ向き直った。

「すまぬが所用があって、見舞いにもゆけない。
峨討、今からいう薬を調合して煎じ、香佑に服用させてくれないか」
「承知した」

間違いなくこの小鳥は阿室の式神だ。
小鳥の正体までおおよそ見当もつく。……腹立たしいが!
こみあげる怒りをねじ伏せて、峨討は硯を引き寄せ小鳥の告げる処方を書き留めた。
この処方ならば、必要な薬種はほぼ三条邸にあるだろう。

「明日の夕刻にはそちらへ行けると思う。
香佑をよろしく頼む」

赤い小鳥はそれだけを告げると、悪戯っぽく峨討の銀髪を啄んで御簾の隙間から飛び立った。
完全に面白がられている。阿室にではなく、阿室の式神となった『殺(シャア)』に。
怒りのあまりか、握りしめた手の中で筆の軸がぽきりと折れた。




峨討の予想通り、おおかたの薬種は三条邸にあった。
折敷に並べられた数種の薬種に、しかし香佑の母君は深い憂いを隠しきれなかった。

「どないしまひょ。阿室さんの言わはるお薬種のうち、あれだけはうちにはおへん。
市でそうそうに購える品でもあらしまへんし……。難儀なことどす」
「ご懸念には及びませぬ、私が所持しております」
「峨討さん」

御簾越しに、香佑の母君はやんわりと首を振った。

「あきまへんえ。貴重なお薬種どす。
もし峨討さんがお持ちなら、峨討さんの存分にお使いになったらよろし。
うちの香佑に、て差し出してもろても、へえおおきにとは言われしまへん」

もの柔らかでありながら、しかし母君はきっぱりと言い切った。
香佑の真っ直ぐさは、まちがいなくこの母君ゆずりなのであろう。
しかし、峨討も引き下がらなかった。

「いえ。ただ持っているだけではそれこそ宝の持ち腐れ。
役立ててこその薬種でありましょう。では」

峨討は薬種を乗せた折敷を手に、与えられた北廂の間に戻った。
衣装櫃の蓋を開け、底から油紙でくるまれた品を取り出す。
肌身離さずに持ち込んだ、故郷を偲ばせてくれる数少ないもの。
この包みの薬種こそが、峨討秘蔵の薬種、田七(デンシチ)人参だった。
効能の高さもさることながら、その稀少性から『金不換』ともいわれ、
止血・造血作用はもとより打ち身、切り傷、吐血、血の巡りに関わる症状や
五臓六腑からの出血にも効能があるとされる、
生薬の人参のなかでもことに貴重な薬草であった。

阿室は、人参の種類までは指定しなかった。
ならばこの田七人参でも構わぬはず。

峨討は躊躇いもなく、人参を削り薬研に入れた。




阿室の処方に従って煎じた薬は、いかにも飲みにくそうな代物だった。
白茶けた色もさることながら、匂いも味も渋い。
いかに『良薬は口に苦し』といえども、これでは。

「香佑、薬だ。起き上がれるか」
「なんとか……」

案の定、香佑は床から半身を起き上がらせたものの
鼻に届いたであろう薬湯の匂いだけで辟易している風だった。
なんとか一口だけでもと椀に顔を近づけるが、それだけで吐き気を催している。

「だめだ、ちょっと無理……せっかくの薬なのに、飲んだら吐きそう」

蜂蜜か甘葛でもあれば口当たりもすこしはよくなっただろう。
だがどちらも貴重な甘味。上流貴族でさえそうおいそれと手には入らない。

「それに……人参、入ってるだろ」
「よくわかったな」
「だめなんだ……あれ、嫌いなんだよ」
「薬に好きも嫌いもあるか、莫迦もの」

味の好き嫌いはともかく、この薬湯を飲んで貰わぬことには病からの回復は覚束ない。

峨討は腹をくくった。

「香佑」

起き上がった香佑の背中側から片膝をいれて、もたれ掛からせるように支えてやった。
肩をしっかり抱きかかえてやる。

「え、ちょ、何を」
「匂いがするから飲めぬのであろう」

椀の中身を一口含む。香佑の鼻を摘んでやり、息苦しさに口を開いたところへ唇を覆い被せた。
苦みのある薬湯を、口移しで飲ませてやる。
ゆっくりと、むせないように、少しずつ。
抗議したいのか、香佑の手が峨討の背を掻きむしる。だがこれも香佑のため。
しっかり嚥下したのを確かめ、峨討は唇を解放してやった。

「どうだ。また吐きそうか」
「……けほっ、ひどいよ峨討。こんな飲ませ方ってあるか」
「へらず口を叩けるならば、もう一口飲め」

今度は香佑もさほど抵抗はしなかった。
戯れに舌を絡めてやれば、本気で噛みつこうとした。
これだけ元気があるなら、ほどなく回復するだろう。
名残惜しく、唇の端から零れた薬湯を舐めとってやり、そっと香佑を横たえた。

「人参の薬湯も飲めたではないか」
「……次からは、人参抜きの薬湯にしてくれ」
「それは阿室に頼むのだな」

もう薬が効いてきたのか、血色も心なしかよくなったように思えた。
角盥の水を取り替えて戻れば、香佑は安らかな寝息を立てて眠っていた。
いつのまにか日も傾いていた。夜風は香佑に障るだろう。
格子と蔀戸を降ろして錠を掛けると、
明日来るであろう式神(と、その主人)にどのような対応を取るべきかと
峨討は香佑の寝顔を眺めながら思案した。



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